俺の写真は面白くないか?(御挨拶に代えて...)

  このわがままで自己中心的、マスターベーション状態全開のHPを立ち上げて、
はや3年が経ったのだけど、進歩がないと言うか、相変わらず垢抜けないHPだ。

 自分的には写真もカビが生えたような状態の、見飽きて反吐が出そうな写真が殆どで、
image-oneなんか、見てるだけで自分のセンスの垢抜けなさに憂鬱になってしまう時がある。
どこのHPでも同じようなものだけど、コンテンツの感想を聞かせてくれるゲストは少なく、
僅かながらに意見を聞かせてくれるゲストの方は、概ね肯定的な感想で、
社交辞令の賛辞か本当に気に入ってもらっての褒め言葉をいただく事はあっても、
(まぁ、それはそれで大変光栄な事なんですが...)「お前の写真はダサイ」とか、
「感覚古臭せぇぜ、タコ!」だとか、「ちょっとネチっこくいぢり過ぎなんとちゃうん?」等々、
ちょっとは耳の痛い否定的な意見も、たまには聞きたいもんだ。と思う。

 もっとも、僕の写真を見て、好みに合わなかったり、「これは箸にも棒にもかからんぞ」
なんて思った人は、馬鹿馬鹿しくて感想を聞かせるだけの労力を使うのは無駄だと思って当然だし、
わざわざ嫌われるようなコメントを残す訳はなく、
何人かの人が見に来てくれてる痕跡が、カウンターの上がっている数に示されているだけだ。

 改めてことわるのも変だけど、愚サイトのゲストの中には御存知の方もいらっしゃいますが、
一応、僕、写真撮って飯食わせていただいてるコマーシャルカメラマンです。(^_^;;;;
雇われの身で、厚生年金ギャラから天引きされてるんで「サラリーカメラマン」
って言えるかもだけど。

 写真のキャリアも学生時代のアルバイト歴から言えば、いい加減げんなり来る位になるんだけど、
こと、仕事を離れて撮る写真ってのが、未発想が貧困て言うのか、ありきたりな構図って言うのか、
綺麗なんだけどこじんまりしちゃって伝わってくるものが稀薄なんだよなぁ。
構図とか露出とか、全然ハチャメチャでもいいから、ハートに「ビビビッ!」ってくるモノが欲しい。

 仕事で写真撮ってると、がんじがらめの制約の中で、
撮る角度やバック素材、小道具の種類から、
それを置く位置まで指定される事だって決して珍しくないのだけれど、
そんな写真の撮り方し続けていると、冒険できない、ファインダーの中で絵にしようとする、
当たり障りのない、常識的な写真に収めようとしちゃう。
考える前に感覚でシャッター切っちゃう。なんてのが、できにくくなってくるんだよね。

 好きで始めた写真だけど、仕事だから当然の事ながら自分の中でプレッシャーになる時もあるし、
仕事がたてこんでくると、プライベートではカメラ触るのも嫌になる時だってある。
そんな時期がずいぶん長い事続いて、自分の中の写真に対する考え方や、
接し方が少しづつ変化しているのに気付いて、
あんなに好きだった写真を今の僕は愛していないんじゃないか?
このままじゃ、写真の事どんどん嫌いになっていくし、
モノを作って行く人間にはあるまじき、感覚と遊び心が腐っていってしまう
って思った事が、ここを作る動機だった。

 一部のサイトに見られるような国内法に触れるような事や、人道的な常識に反しない限り
何を表現しても自由だし、個人サイトなんだから、それこそ「独り言は、何言ったって構いはしない」
はずなんだけど、気付かないところで見せようとしてる自分がいてるんだよなぁ。
格好つけようとして、なかなか作れなくなってしまってる。その割に空回りして全然良くない。
写真撮ってても、仕事じゃないんだから好きにすりゃいいのに、何かファインダーの中で考えてしまう。
無意識に作り込もうとしてる。

 学生時代は、それこそ何にでも抵抗なくレンズを向けられたんじゃなかったっけ?
こんなもの撮ったら笑われるだろうか?とか、写真撮っている最中でも、
周りの好奇の目なんて何にも気にならなかったように覚えている。

 まぁ、それ以前に、膨大な学校からの課題に、四六時中カメラを下げて
写真になるネタを探し続けていないと、とても課題提出に間に合わなかったって事もあったのだけど、
当時のネガをひっくり返して見てみると、未熟なフレーミングの中に
訳の分からないものがうんざりするほど写ってて、そんな写真の中に、おや?って思えるものや、
こんな見方は今の自分じゃ絶対できないだろうなって写真が有るんだけど、
そんな写真は、その場の空気感が感じられるし、妙に生き生きしてるんだよねー。

 最近は、HIROMIXの影響なんかもあってか、ティーンエイジャーなんかでも写真を撮る人も多いし、
首から下げて、アクセサリーにしちゃったりで、日本国民総カメラマン時代?
雑誌に載ってる写真は、ピンボケありん、手ブレ写真ありん、頭がフレームアウトありん。
写るンですなんかに付いてるしょぼいフラッシュでも、至近距離で焚いてるもんだから
顔すっ飛び、しかも暗闇でいきなりだから、赤目になっててもお構いなし。(^_^;;;;

 でもね、そんな写真はすごいと思う。
その場のライブ感がビンビン伝わってくるし、フレームアウトした身体が
四角い写真の中に収まり切らないパワーを漲らせている。
レンズに向かって笑いかけてる人、怒ってる人、込み上げる涙を押さえきれずに、
ただひたすら泣きつづけている人、眠っている子ども、カメラに向かって吠えてる犬、
染みだらけのカーテン、陽に焼けて色褪せたポスター...
なんて事はない日常の風景、身近な人の表情にこそ、
生きてる写真のパワーが有るような気がするのは僕だけだろうか?

 僕は再三言うように、コマーシャルベースの写真を撮って飯のタネにしてる人間だから、
ドキュメンタリー写真至上主義者ではないし、どっちかと云ったら畑違いなジャンルだけど、
そんな写真が持つパワーや、写真本来の「真を写す」というソフト的、ハードウエア的両面の性格を否定して
写真はあり得ないと思うし、だからこそ写真なんだぜ、べいびぃ!
なんて思うけど、自分にそんな写真が撮れるか?って思った時に、
「う〜ん...」と唸ってしまい、尻込みしてる自分がいてる。

 頭の中を空っぽにして、心が趣くままに目の前の風景や人物が、光り輝くほんの一瞬の表情を捉えて
シャッターを切る事の難しさって言うんだろうか?
世の中にはすごい人はいるもんで、そんな剃刀のような鋭い感覚と、
天性の絵心を持ち合わせた人は、売れる売れないに関係なく、
独特の自分の世界を作り出しているように思う。
もちろん、まぐれ当たりってのも世の中にはあるけど、天才肌って言うのかな?
本人何気なくシャッター切ってても、見ている方が身震いしてしまうような写真を撮ってしまうんだよな。

 それは勿論プロのフォトグラファーにもいてるのだけど、
そんな写真の知識なんて殆ど持ち合わせていない人にだって存在してるんだから恐れ入る。
もしかしたら、絆創膏こめかみに張った隣のおばちゃんかもしれないし、
毎朝駅で見かけるルーズソックスの女の子かもしれない。(笑)
カメラだって、「写るンです」だとか、オリンパス-ペン(このカメラを知ってる人自体少ないか?)
だったりして、必死になって構図考えたり、ライト考えたり、
はたまたスキャナーで取り込んでPhotoshopなんかで三日間位マックにかじり付いて
こねくりまわしたりしたって、とてもかなわない写真をスカッと撮ってくれちゃったりする。

 これは全くもって理不尽だ。産みの苦しみに、のたうち回ってる僕をしり目に、
何のてらいもなくすごい写真を撮ってしまう。
そんな写真を見せつけられちゃうと、目の前で鳶に油揚げ攫われ状態にも似た脱力感すら覚える。
正直言って羨ましいです、妬ましいです、口惜しくて地団駄踏んでしまいます。
いかんせん、自分に天性の飛び抜けた感覚を、神様は与えてくれているようには思えないし、
知識や絵心だって、ひたすら努力と言えば聞こえがいいけど、猿真似ってったらちょっと寂しいけど、
所詮はそんなもんか?

 何れにしても、早くから自分が残念ながら天才肌の選ばれし者ではなく、
コツコツと地道に努力して一つの事を作り上げていくキャラだって事は理解してたし、
それは今さらどうのこうの言っても仕方がない事だけど、
もう少し気楽な視線で写真を考えて、ストレートで素直な写真が撮りたいと思うんだな。

よく写真の基本はモノクロだとか言われるように、モノクロ写真をもう一度意識して使ってみるとか。
考えてみれば長い事現像なんてしてないな。現像タンクも、引き延ばし機もホコリかぶってるぞ。(^_^;;;;

 デジタル写真が普及してきて、今さら暗室作業なんて...って言う人もいる。
確かにコマーシャルベースでの印刷媒体をターゲットに撮る写真は、
ある意味そうかもしれない。
実際、新聞広告用の単色刷り写真の原稿だって、最近では
カラーポジで撮影して色変換してしまう事が殆どになってきてるし。
でも、趣味の写真だったら、そればっかりじゃないと思いたいよね。
銀塩写真の持つ粒子が、デジタル写真には無い空気感や、暖かみを感じさせてくれると思うんだよ。
例えその写真が超微粒子で、肉眼では殆ど認識できない粒状性だったとしてもね。

 そう言えば、アマチュア時代、好きな女の子の写真撮らせてもらって、
家に帰ってから食事も忘れて現像してた、あの「ドキドキ」感って、最近忘れてるよね。
現像液の中から少しずつ浮かび上がってくる像を見ながら色々な事を思ったもんだ。(笑)
一枚一枚のプリントに、色々な思いを込めて現像してたあの頃の、
ピュアな気持ちをもう一度取り戻さなきゃ、
今以上に人に感動を与える写真って撮れないような気がするな。

 型にはまらない自由な表現がもっとできるようになれば、目の前にある感動に対して
素直にシャッターが切れれば、僕の写真ももっと多くの人に見てもらっても
恥ずかしくない写真になっていけるんじゃないかと思うのだけれど...

 でも、よく云われる事だけど、作品ってのはその人の人となりや、生きざまを問われるって事かな。
まだまだ人間的に、僕は情けないくらい未熟なんだろう。
愛情が足りない。人に対する優しさが足りない。自分の人生に対する責任感が足りない。
薄っぺらい人間性や、物を見る眼が作品にモロに出てくるんだと思う。
まだまだ僕は、色々な事を世の中や周りの人から学んでいかなくっちゃならない。
安穏と日々の生活のぬるま湯に浸かっていたんじゃ、
何時までたっても撮る写真も、人間としても中途半端のままだ。
棺桶に押し込められる頃までには、多少は小マシな人間になれてるかな?(笑)
死ぬまで現役、死ぬまで勉強って思うけど、

 ただ、漠然と生きて、ぼんやりと物事の上辺だけ見て入るようじゃ
いつまでたってもダメな奴から脱却出来ないよね。
もっと物事を見極める洞察力が欲しい。
頭で理解するより早く直感が出来事の全体像を把握して
一歩先に出るスピードとその行動や判断を支えるバックボーンとなる
確固たる自信と経験。

 今は僕の写真はダサいと自分で断言するさ。
でも、これからの僕の写真は今より少しずつ
イケてる写真に変わっていくはず。
そう思ってなきゃ実際の所写真続けてなんかいらんねーし、
僕を昔から知ってる人、最近知った人、今日初めてここを見に来てくれたあなたが
何ヶ月か、何年か経った時に僕の写真を見に来てくれた時に、
「なんだ、全然成長してなじゃないか?」ってがっかりされないように頑張りたいもんだと思う。

言いふるされてきた言葉だけど、人生死ぬまで勉強かぁ?

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